昨年亡くなられた俳優の菅原文太さんは、農業への関心も深かった。
晩年には、山梨県北杜市に農業生産法人を設立し、2ヘクタールの遊休農地を借りて研修生たちと野菜作りに励んだ。
3年ほど前、日本経済新聞のインタビューで、農業についてこう語っている。
「今の農業が農業といえるのかという疑問から無農薬の有機栽培や肥料も使わない自然栽培の人たちが出てきた。そして違う道を歩いている。科学的な窒素とかそんなものを放り込んだって、それは本物じゃないよね。やっぱり。あてがわれた化学肥料と農薬とタネをパッパとまいて、それを農業だと人は思わないよ」
そんな菅原さんが、亡くなる直前の11月5日、東京都内で開かれた農業問題に取り組む市民団体の集会に、こんなメッセージを寄せた。
「カメムシ食害による『斑点米』の等級引き下げという農家泣かせの政策は、敗戦後の食糧難の時代を忘れ、世界中で飢餓に苦しむ多くの人たちがいることも顧みない日本人の思い上がりが産んだ愚かな政策です。その不徳はこのまま行けば、自からの身に降りかかり、徳無き国が歴史上辿ったと同じ衰退の道をこの国は歩むことになるでしょう。農業者、消費者、どちらもこの国の大切な宝です。そのどちらにも益さないこの愚策は直ちに取り下げ、真の豊かさとは何かについて、農の哲学と展望を築き直しましよう」
少し解説が必要だろう。
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中央に黒く見えるのが斑点米 |
黒い着色の正体は、カメムシの吸汁痕、要するに噛み跡である。こう言うと、「気持ち悪い」「食べたら体に悪いかも」と思われるかもしれない。しかし、実際は逆である。斑点米が混じっている米のほうが、そうでない米よりも、自然で健康的な米なのだ。
なぜか。スーパーなどで売られている米に斑点米が見られないのは、米をあらかじめ色彩選別機にかけて着色粒を除去しているせいもあるが、むしろそれよりも、農薬を使ってカメムシの被害を未然に防いでいることが大きな理由だ。裏を返せば、斑点米が混じっている米は、農薬を使わずにより自然に育てた米である可能性が高いのである。
このことは、私自身の体験からも言える。
私は数年前から、茨城県で、仲間と週末を利用して有機米作りをしている。一般消費者に売ることを目的としているわけではないので、JAS法に基づく有機認証は取っていないが、農薬も化学肥料も使わないれっきとした有機米だ。自分の手で育て、収穫した新米を炊いて食べる瞬間は、なんとも言えない。しかし、その真っ白い新米の中には、斑点米が入っている。私も最初は、正直ちょっと気味が悪かったが、斑点米について学んでからは、平気になった。
専門機関による調査の結果、斑点米は毒ではないことがわかっている。食味にもまったく影響がない。自分で育てた斑点米の混じった米を実際に食べてみても、普通に美味しいコシヒカリである。そもそも、混じっているといっても、茶碗1杯あたり、せいぜい1粒あるかないかという程度だ。
何の問題もないどころか、実は農薬を使わない健康的な米の証である斑点米だが、米農家は、自分たちが出荷する米に斑点米が混じらないよう躍起になっている。
なぜか。少しでも斑点米が混じっていれば、取引価格が大きく下がるためだ。これが、菅原さんの言う「等級引き下げ」だ。
米を市場に出荷するには、農産物検査法に基づき、品質検査をする必要がある。検査項目のひとつに着色粒、つまり斑点米のチェックがある。自分のところの米が最上級の1等米として認められるには、着色粒の混入率が0.1%以下でなければならない。これは米粒1,000粒につき、1粒以下という割合だ。同様に、0.3%(3粒)以下なら2等米、0.7%(7粒)以下なら3等米にランクされる。1等米と2等米では、価格が、玄米換算で60㎏あたり約1,000円も違ってくるという。現行制度は、安全性にも食味にも何の影響もない斑点米がほんの少し混じっているだけで農家の収入を大きく左右するという、まさに「農家泣かせ」の制度なのだ。
農家は当然、なんとしてでもカメムシの被害を防ごうとし、農薬を使う。そして、現在、カメムシ防除に有効との理由から米農家に広く使われている農薬が、以前にこのブログでも書いたネオニコチノイド系農薬だ。実はこのネオニコチノイド系農薬の使用こそが、斑点米問題の核心部分なのである。
ネオニコチノイド系農薬は世界で最も使用されている殺虫剤で、化学構造がニコチンに似た神経毒。殺虫剤としては優れた効果を持つ半面、世界各国で起きているミツバチの大量死や大量失踪の真犯人とされている。人への影響も懸念されている。ネオニコチノイドは、母親の胎盤を通じて胎児の脳に到達し、胎児や小児の脳機能の発達を阻害する可能性が指摘されているためだ。
実際、海外ではネオニコチノイド系農薬の使用を禁止したり制限したりする動きが相次いでいる。EU(欧州連合)は2年前、ネオニコチノイドの暫定的な使用禁止に踏み切った。影響を詳しく調査するためだ。米国も昨年、国立野生生物保護区を管轄する内務省魚類野生生物局が、同保護区内でのネオニコチノイド系農薬の使用禁止を決めた。韓国やオランダでも規制が進んでいるという。
日本ではどうか。日本でも、ネオニコチノイドの影響が疑われるミツバチの大量失踪や幼児の異常行動などが何件も報告されている。しかし欧米とは対照的に、政府による規制強化の動きは今のところない。
そうしたなか、市民グループ「米の検査規格の見直しを求める会」が、昨年11月5日、東京都千代田区の衆議院第二議員会館内で「斑点米農薬防除をやめて安全な米とミツバチを守ろう市民集会」を開き、ネオニコチノイド系をはじめとする農薬の規制強化を政府に訴えた。そこに、菅原さんが、先のメッセージを寄せたというわけである。
それから約3週間後の11月28日、菅原さんは息を引き取った。市民集会に寄せたメッセージは、ひょっとしたら、日本の将来を憂えた菅原さんから私たちに向けた尊い「遺言」だったのではないか。今となっては、そんな気がしてならない。
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Hijiri Inose